伊豆高原の別荘にやって来たのは久しぶりだった。電車で来たのは、これが初めてだ。駅から比較的近いので、電車でもそんなに苦にならない。
こうして桜の開く季節、駅からの桜並木を時間をかけて歩いて、のんびりした気分を味わうのも悪くない。
平日だったので、人はまばらだった。
昨年の冬、透は銀行を退職した。五十を過ぎると出向を言い渡されることが多い銀行では、多くの管理職が五十五で定年する。しかし透は、まだ定年前であった。
本来ならばあと数年勤めることが出来たが、秋の健康診断で胃の精密検査が要され、大学病院で胃癌が発見された為、早期退社したのである。胃癌の治療で長期に渡って会社を休むのならば、退職した方が迷惑をかけずに済むと判断したのだった。元来責任感の強い性格だった。
胃を半分以上切除してしまうと、最初のうちは絶食である。鎖骨の下の辺りに針を刺し、高カロリー輸液を点滴注入しながら回復を待つのである。その姿はあまりに痛々しく、万里亜の心を切り裂いた。
いくら点滴をしていても、数週間絶食していればやつれても来る。そのあと口にできるのは、流動食だけだ。それもすでに食の細くなった身には、一口の粥さえ持て余してしまう。
透は、万里亜の所属する大学病院に入院することになった。放射線科の教授が、消化器内科の教授宛に、紹介状を書いてくれた。それがあれば何か変わるというわけではないが、たとえ些細な安心でも、微かな希望を得るためなら、どんな事でもしたかった。
胃癌は早期発見されれば殆ど問題ないと言われていたが、心配で心配で仕事も手につかない。病院を休みたいと思って教授に相談したが、当然反対を受けた。
透も、万里亜が仕事を辞めようとしているのを察していた。
「大袈裟だな、大丈夫だよ。せっかく苦労して医者になったのに、病院を辞めるなんて勿体無いよ」
透は万里亜の杞憂を笑い飛ばした。